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痛みについて ①痛みの歴史的背景

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今回痛みについて少しだけ書いていこうと思う。

今回は痛みの概念の歴史的背景である。

痛みというのは、物凄く個人差がありいろいろな刺激に対して反応することがあったり、精神や感情、環境によっても痛みは変化してしまうため、理解やまた伝えることは難しい。

そのため膨大な量の情報量が痛みを理解することにおいて必要となるが、かなり難しくなるので、できるだけ簡単に書いていこうと思う。

痛みの歴史

古代アリストテレスは、「痛みは快楽の対極にある経験や不快感を表す感情である。」といっていて、痛みは感情であるといっていた。

ヒポクラテスは痛みを御するは神の業なりという言葉を残しているが、すなわち痛みは完全にコントロールは不可能であるということであった。

中世では1664年近代哲学の父と言われるデカルトが「痛みは特有な受容器と伝導経路を持った感覚である」とはじめて痛みは感覚とした。

「例えば火が片足に接近すると、この火の微粒子がご存知のように、非常な速さで飛び出し触れた足の皮膚上の一点を動かすことによって、そこについている細い糸を引きちょうど釣り鐘のついたロープの端を引いて鐘をならすように、瞬時に糸の他端にある細孔を開く」とデカルトは言っている。

※このデカルトは考える主体としての自己(精神)とその存在を定式化した「我思う、ゆえに我あり」という言葉はあまりにも有名である。

20世紀にはいると「痛みは警告的意味を持つ感覚である」と痛みの存在意義は生体に加わった障害を生体に知らせる警告信号としての機能にあると考えられた。

しかし、すべての痛みが生体に対する警告信号としての意味をもっているのか?

加えられた刺激の量と痛みの程度は比例すると考えられていたが、今日では障害の程度と痛みの程度は一致しない、刺激がなくても痛みは出現するということが臨床ではよくみられる。

●変形性膝関節症の手術の後にもかかわらずいつまでも痛みが消失しないのはなぜ?

●骨の変形の程度と痛みの強弱が一致しないのはなぜ?

●腰部椎間板ヘルニアがあっても痛みを訴えないのはなぜ?

●いつの間にか骨折といわれる圧迫骨折があるにもかかわらず、気が付かずにいるのはなぜ?

など痛みというのは怪我や変形などの程度に痛みの程度が一致しないことが臨床的にもよくみられる。

現在では、一部の痛みを除き、その多くの痛みは生体に対する警告信号としての意義を持つものではない。としている。

したがって「痛みは決して我慢するべきものではなく可能な限り早期に軽減あるいは消失させるべきものである」という考え方が支配的になりつつある。

また、いつまでも続く痛みは「個人の生体機能に重大な歪みを生じさせるとともに、個人と家族、個人と社会との関わりに重大な亀裂を生じさせるもの」と捉えられている。

痛みというのは、精神的、心理的にも強く影響する。痛みのため仕事に支障をきたし社会的にも影響をうけることもある。

根性や精神論、時間的経過だけで解決はできない。痛みというのは人間の記憶にも残るため、記憶に残る前に根本的に痛みを取り除く必要がある。ちなみに、消炎鎮痛剤や精神安定薬は根本的な痛みの除去とはならない。痛みの感覚を感じさせにくくさせ、痛みによる感情を起こらせなくしているに過ぎない。

なるべく薬物を使わず痛みを除去できるようしなければいけないと思う。

そのためにも痛みに対し理解する必要がある。

 

 

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